坊主はamazonで十分だ!

2016年2月15日月曜日

戯言

t f B! P L

祖母が亡くなった。

ちょうど100歳で苦しむこと無く大往生だった。

雨の降る夜、会社を早退して通夜に駆けつけると、坊さんがお経を読み上げている最中だった。

聞いたことのないような、お経だった。


祖母には素晴らしい戒名が名付けられていた。
通夜の最後、坊さんがこの戒名について話すかと思ったら、

最近の人は葬式もしないで火葬を済ますだとか、
遺灰を電車にわざと置いたりするとか、
通夜に出て葬式に出ない奴が居るだとか、
こういう事をするのを良く聞く、人のやることじゃないしけしからんと、

こういう説教をし始めた。


とうとう、戒名にも、祖母のことにも、ロクに触れず話は終わってしまった。


かと思えば、
献杯の際には、酒を飲み過ぎて葬式で寝る奴がいるとか、夜通しで疲労してけしからんとか、説教をし始めた。


ひでぇ坊主である!!


過去に執着し、未だ起きていない未来を不安がるなどというのは、妄想に取り憑かれ、今を生きていないということだ。

煩悩にまみれて生きていくという事は、なんとも恐ろしい事だと明確に認識することが出来た。


通夜の最中、まるで映画の前に映画泥棒の映像を見せられたような不快感に耐えかね、不意に後ろに目をやると、受付にいたオッサンがゴルフスイングの練習をしていた。

彼一人が禅の境地だった。


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後日、実家に行くと、両親は私に対してこう言った。

「私達はあんな坊主ゴメンだ。amazonとか、イオンとか、ああいうとこでお願いしたい」

人の気持ちを考えずお金を貰うことだけを考える不愉快な坊主など、有り難くもなんともない、というワケだ。

あの坊主は一度サービス業の研修などに出た方が良い、と言っていた。
「気持ち」を考えない輩が「お気持ち」を戴けるハズなど、無いじゃないかというわけだ。

色々文字は起こしましたが、結論として、我が家はamazonやイオンにします、以上。

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