受け身の人生で得た「より多くを得るたった1つの方法」

2016年3月9日水曜日

考え

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世の中には、自分の人生は自分で決める、切り開くと、主体的に行動される方がいらっしゃいます。

一方私はといえば、主体的な生き方ではなく、起きた出来事の直撃を受けるような、受け身の人生を歩んできました。正反対ですね。

それでは良くないだろうと、いろいろな本を読んだり、セミナーに参加したり、人に手伝ってもらったりと、「主体的な人生」を生きるための取り組みもしてみたものの、とうとうシックリくるものはありませんでした。


それでもただ1つ、そんな受け身の人生から得られた事があります。

それは、「起こる出来事は有り難い」ということです。


もともと、主体的に動く性格ではありませんし、事実そのように行動してしょっぱい結果ばかりが出ています。

「こういう風にしたいな」とか、「こうだったらいいな」とか、ぶっちゃけ率直に、「これ嫌だな」とか、思うことはあっても、行動したりすることがありません。

例えば、すごくヤな事があった、けれど、我慢していることがあるとします。
普通は、そういう今日が明日も明後日も一ヶ月後も一年後も続きます。

けれど、そこへ、猛烈に心をへし折るくらいの出来事が発生したりします。
それが、有り難いんです。

今日も明日も明後日も一ヶ月後も一年後も、自ら行動できずに悲観に暮れる人生を、自らの努力に依らず終わりにしてくれるから、有り難いに決まっています。


起きちゃった出来事は、自分のこととして、当事者として、受け止めるしかありません。
その上で、如何にそれが有り難いか、気付くか否かです。


手元にある、配られたカードは自分で選ぶことができません。
ところが、見れば結構良いカードが入っています。

「これ、マジ使っていいんスかね?」と、思わず顔がほころぶようなカードが入っています。

「私はカードを自分で選べない」と不平不満を述べるより、受け取ったカードを良く見る事です。
ありがたいカードが、入っていないでしょうか?

嫌なやつからカードをぶん投げてよこされる事もあります。
それを手元のカードに加えたら、ロイヤル・ストレート・フラッシュだったりもします。

カードを自分で選ぶ人、カード自体を製造する人、いろいろいますけれど、自分はどこでどんなゲームをプレイしているか、そのことを考えてみてはどうかと思う次第です。

そして、これはゲームなのだから、動く時に動かなくてはなりません。

いくら受け身だからといって、石の上にも三年だよねとか、嫌な事を我慢してこそ大人だよね、みたいな正当化をしているうちは、人としての成長はありません。ゲームの結果を出す事と、次の一手を打つ事が肝要です。

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