そもそもの始まりは2006年くらい。
部屋の収納スペースを使い果たし、天井まで届きそうな棚を使って物を収納し、部屋で歩くことのできる空きスペースはまるで「通路」のようでした。
ここから、一気にゴミを捨てて、最終的にトランク一個にモノを収めようというところへ向かっていきました。
あれやこれやとモノがなくなると、
「あれどこだったっけ?」が無くなります。
「来週水曜になったらあの本の発売日だから買わなきゃ」が無くなります。
「今度もっと良いのが出るから、インターネットで情報収集しなきゃ」が無くなります。
モノに対して使う時間が圧倒的に減ります。
モノを減らす系の界隈でよく言われるのが、「モノを減らしたスペースに自分の時間を入れる」といった考え方。
これは的を得ているなと思います。良い方にも悪い方にも。
良い方は、みんな言ってるから割愛します。
悪い方は、自分という人間が思った以上に何もない人間だとバレてしまう事、またその喪失感がすっからかんの部屋の情景に上乗せされることです。
ときどき、物を減らすのは精神面・情緒面で良くないと言う人がいるのは、この辺ではないかと思います。「お前はなんでもないただのつまんない人」ってことです。
なんにもない・なんでもない・何者にもなれない人は、文字通り、物という鎧が無くなって、何にも無くなるわけですから。
じゃあ、何になるんですか、何を目指すんですか、という事を自分で決める時間があるわけですから、そっちに焦点を当てたらいいだけです。それは界隈の人がよく言っているのを見かけます。
ブロガーがミニマリストを名乗るというブームも、自分が何者になるかを各々が決めた結果です。そういう自己紹介をして自分というものを作っているんです。
それがなかったら、人間はただの糞袋でしょう。
私の*ン*ンオッキイです!とかいう自己紹介じゃどうしようもありません。
何になるんですかね、私達というのは一体。
朝から終電まで仕事をしていれば、惰性で仕事が生活に、人生に、それが大好きにもなりますよ、それしかないんですから。
それで、時間が出来たときに改めて振り返ってみて、何になるんですかとという問いかけをするわけです。
ここで殆どの人はポカーンとしてしまいます。
何言ってんの?くらいの感覚になるのが普通だと思います。
だからもういっぺん、「何になるんですかね?」、という問いかけが必要なんですよ。
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