旅行が好きです。
しかし観光地や観光コースに沿ったルート巡り、名物の食べ物は好きではありません。
それらは外向きに誂えた見世物であったり、楽天で注文すれば自宅に届くようなものであったりするためです。
では、どんな旅行が好きなのかと言うと、その土地の様子を感じる旅行が好きです。
今年、大阪に旅行へ行きました。あべのハルカスというところが見たくて、見に行ったら、何十万もするソファが置いてあるインテリアショップなどがあり、とても豪華でバブリーな感じでした。
ちょうど北海道物産展かなにかをやっていて、そこで、あまり北海道とは縁のないたい焼きを買って屋上で食べることにしました。
街を一望したいと屋上の隅っこへ行くと、黒のコートを来たオッサンと、バンギャっぽい若い女性がそこでいちゃいちゃしていて、オッサンの手に引っ張られて、二人、反対側の菜園っぽい場所へ引っ込んでいってしまいました。
あべのハルカスって感じでしたね。
ビルの周辺は開発が進んでいて綺麗な街並みでしたので、しばらく散策をすることにしました。
大きな道路沿いに歩いて行くと、そこは西成でした。
安宿が立ち並び、自販機の前にはニンマリとした顔のおじいさんと、無表情のおじさんと、無邪気な男の子が屯していて、スーパー玉出では地べたに座ってご飯を食べる二人組の老人がいました。
そんな中でも綺麗なファミリーマートがあって、安心したのもつかの間、鼻を突くような激臭が漂ってきます。ファミリーマートの前に座る老人の臭いです。
たまらず大きな道路の向こう側へ渡ると、ファミリーマートの入ったビルの上には小さな窓がいくつかあり、そこに白のタンクトップを着たおじいさんが靴下か何かを干しに姿を見せていて、ここにはそういう、小窓の空いたビルが沢山あることに気づきました。
そんな建物群の向こう側に、あべのハルカスはそびえ立っていました。
さっきまで、バブリーな値札の付いた商品が並ぶお店にいたはずだったのに100円の白米パックが並ぶお店にいて、綺麗に再開発された街にいると思ったら所謂スラムにいて、衝撃でした。
少し話しを脱線させますが、
良く、「お金が無かったら生きていけない」「やってけない」なんて、お金にまつわる会話をすることもあるかと思います。
私は、親から、友人から、また自ら、小言のように、ときに冗談として発言することがありました。
それは一体、どこまで想像力が働いて発した言葉なのかと改めて自分に問い掛けざるを得ませんでした。
お金が無かったら、貧乏になったら、どうなるか?
「こうなるんだよ!!」
と、叩き付けられたのが、西成の景色でした。
生きていけないなんて嘘です。生きていけます、やっていけます。
どんなふうに?
「こんなふうにだよ!」
平和な世界でぬくぬくと育った価値観に対して、暴力的な情報が圧倒的な力で叩きのめしているかのような感覚に襲われました。
良いとか悪いとか、金持ちとか貧乏とかそういう二元的な結論を飛び越えて、「一体、お前、どう生きるんだ」と、問い詰められたように思います。この体験は、未だ忘れることがありません。
大変失礼な表現が多々あったかと思いますが、率直に感じたことを記しました。
旅をしても何も変わらないと言う人も、いらっしゃいます。
それって、もしかして、観光地ばかりを巡ってはいないでしょうか?
ガイドブックの地図の外に出掛けてみれば、旅で変わるという意味が、もしかしたら少しばかりかでも感じられるかもしれません。
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