子供の泣き声を録音したい

2015年11月20日金曜日

戯言

t f B! P L


スーパーや百貨店などへ行くと、だいたい子供が泣いております。

小さい子供、それから赤ちゃん、目一杯、力の限り泣きます。


お兄ちゃんが弟を泣かせる。それを見たお母さんが叱りつけてお兄ちゃんが泣く。号泣の連鎖。

そして関係のない他の子供も涙脆くなる号泣のスパイラルループがそこにあるのです。


構ってもらいたい、分かってもらいたい、その一心で泣き叫ぶ男の子であったり、命の限り泣き叫ぶ赤ん坊であったり、昼下がりの百貨店7階にて、そんな泣き声のオーケストラを聴いているうちに、ふと、

「録音したい...」

と思いました。

この強烈なパワー。命の泉であるかの如く溢れ出る声量。この世に生を授かり生きる魂の叫びを、私たちは邪険に扱い、無駄にしてはいないだろうか。

ある人は、赤ん坊が泣いているのを母親に怒鳴りつけるのだそうだ。それは何たる暴力。
赤ん坊の鳴き声が、その輩にとっては暴力と受け止めたかもしれないが、それを母親に怒鳴るとはただの暴力の応報。感情のままに声を出す「ビースト」の存在が顕になる瞬間でもある。


私は、泣く子供に近づいて、スマートフォンのアプリを起動する。

子供が泣くのを怒鳴ろうとする初老の男性の眼前に手のひらを出して、それが録音中であることを伝えよう。
自分の怒鳴り声が、何か都合の悪い、脅迫のようなことに使われるのではないかという疑念に駆られ、男は睨みを効かせたまましばらく動けないでいる。

子供がわんわんと泣いている。

子供が様々な泣き方をするたび、スマートフォンの画面には、ドレミ音階別のリストに音源データが追加されていく。

ドレミが全て埋まったとき、別の画面から楽譜データを読み込み、再生ボタンを押した。


手にしたスマートフォンから、子供の鳴き声で、アンパンマンマーチが演奏される。

今まで泣いていた子供が一瞬、「えっ?」という表情を見せる。


子供だって馬鹿ではない。むしろ、子供は何も分からない生き物だとする考え方は誤りであろう。
物心が付くまでの子供には、前世の中年おじさんが宿っていると見るのが正しい。そのくらい、空気と親の言動や表情を読んでいる。

「これは、ははっ、私の声ですな、やー、、、はははっ、これはお恥ずかしい、いやいやいや。。。」

だいたい、泣く時だって、「あー、ゔゔん!ゔーん!!、、では、失礼して。。」と言ってから泣いているんだろう。そういう、溜めを作る時がある。


お昼過ぎの百貨店の7階。

自分の子供の鳴き声のアンパンマンマーチが流れるスマートフォンを持った男。
そのとなりに、怪訝な表情で立ちすくむ男。

母親はこの状況に危険を感じ、血相変えて子供を抱き抱えて立ち去っていく。

子供はその母の様子を見て、その母の表情を見て、これは、構って欲しくて泣いてる場合じゃない、まずい状況が発生していると、空気を読んで泣くのをやめるだろう。


スマートフォンで録音した子供の泣き声は、再生出来る他に音源が数値化されてオンラインバトルをする事ができる。
より強く、より生命力のある泣き声が強い。しかし、自己承認欲にまみれたあざとい泣き声も、将棋で言う飛車のような攻撃力がある。

将来、子供の泣き声を、みんなが楽しみにし、また鑑賞し合う世の中になったならば、幾許か子育てのしやすさの足しにはなるだろうと思われる。

皆が皆、録音していると分かれば、異常者が居るといちいち構ってはいられない。
むしろ、泣け泣き叫べと、江戸時代の火消しがまといを持ってそれを回すように、幼い子供を揺さぶる母親が出て、それはそれで問題になるかもしれない。

そして、江戸時代の長屋は燃えやすく、すぐに燃えて灰になるように、子供もおおいに泣き、泣き叫び、泣くことに満たされ、それに飽きて泣き止んでしまうのである。


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