【ミニマリスト】自分が「モノの奴隷」になっていると分かる時

2015年11月21日土曜日

ミニマリスト

t f B! P L

引っ越してからまもなく、こだわりにこだわって購入し、

大満足の買い物のうちに部屋への設置が完了し、

家に帰るたび満足感の得られた、

愛用のソファとカフェテーブルについて、


引き取り手が見つかり、配送の手配中です。



こんなにも満足度の高い、普通だったらそういうものを残すよね、という優先順位であるべきものを、手放しました。


理由は明快です。


私は、このカフェテーブルとソファの奴隷となり、日々の行動を制限していたからです。


とにかく部屋にいたら

ここへ座り、

ここで本を読み、

ここでパソコンをし、

ここで飲食をし、

ここで、、、、


と、とにかく一畳の範囲から出ない生活が続いていたからです。


せっかくのひとり暮らし、これのどこが自由なの?


まるで鎖で繋がれたサーカスの象のように、本当は鎖を地面に打った杭ごと引き抜いて逃げてしまえるのに、諦めてそこから動こうともしないなんて、、、


なんて可哀想な象、あなたはもっと自由になれるの!

<パオーン!!もしもし、集荷お願いします。


というわけで、これが、俗にいう、モノに囚われた生活というヤツです。

素敵な家具なんですよ、凄くシックで、高級感があって、カフェテーブルは日本製でとても品質が良い!夜は間接照明に照らされ雰囲気の良いジャズミュージックが流れる大人な空間を演出していたファニチャーなんですよ!

物が少なくてアイテムが素敵すぎるから、「ここってセカンドハウスでヤ*部屋なんでしょう?この高給取り!」と女性から言われるような素敵家具なんですよ!

けど実際は、いつもテーブルに向かっていて、私は天板しか見ていません。

故に、天板の木目からセカンドハウスなる発想は出てきません。

なんたる視野の狭さ故の不自由!


というわけですよ。

ミニマリストにも価値観は様々で、物が少ないが故に良い物で揃えようという人もいらっしゃいますし、物は壊れる悪くなるから安いのを都度購入という人もいらっしゃいます。

物を買う、捨てるにも様々な考え方があります。

今回の私の場合は、自分のために買った家具が自分の行動と思考を狭め、私の望む自由を曇らせていたという考えです。

そして、まずは行動であると、大好きな家具を手放し、人に「与えた」というわけです。

家具は持ち物。それを買うのも、持つのも、捨てるのも、私。

その私が、家具があるからとそれに付き合わされるように生活するなら、主従関係逆転です。
これは気をつけたいなと思いました。

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